ことばの虹

あるところに、ことばを預かり、保管している部屋がある。

そこにあるのは、どんな”ことば”なのかというと、

歌の歌詞だったり、小説の一節や映画の中のセリフ、和歌や、俳句から、誰かのつぶやきまでと様々。

その時、心を動かされた誰かが、その思いを留めておきたくて預けられた沢山の”ことば”たち。

それは、糸に紡いで引き出しにしまってある。

この状態では誰も読むことは出来ないから、言葉に隠された秘密を守ることができるのだ。

普段は忘れて過ごしているけれど、誰しもが心の奥底に閉まっている、大切な思いが込められた”ことば”

思い出すには静けさと立ち止まる時間が必要だということに気づいていても、

忙しくてすぐに目の前の出来事に心を奪われてしまう人間には、なかなか思い出すことが難しい。

とても大切な感情。だから預けられたのに、思い出されないままになっている”ことば”がなんと多いことだろう。

美しく並べられた色とりどりの糸を見ていると、少しだけ悲しい気分になる。

永遠に保管し続けることはできないから、ある一定の時が過ぎると、風に乗せて、空や川そして海に還すことになっている。

赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、、それはまるで虹のようで、ふわりと広がって行き、やがて光に溶けて行く。
(虹と思って眺めているもののいくつかはこの”ことばの虹”である場合がある。誰にも気付かれることはないけれど…)

その光景はうっとりするほどに美しく、やっぱり少しだけ悲しい。

季節は春、ふと気づけば花は咲きほこり、植物たちは成長の勢いを増す。

太陽の光はどんどん力強くなってゆく。

新しい気持ちになって、また始まることもあるだろう。

全てを忘れてしまっても、何も変わらないのかもしれない。

それでも、

いつか誰かが預けた”ことば”を、ほんの少しだけでも糸からまた文字に戻したいと、私はそう思っているのだ。

海に、空に、風に還る、その前に。

TALE of tales

水平線

仕事納めの1日が終わった。
なんだか本当に疲れてしまって、鬱々とした思いを抱えたまま駅に向かう。
街中の年末ムードが今の自分には辛い。

普通なら、あともう少しで今年も終わるんだからといい意味で諦めがついて、スッキリとした気持ちの人の方が多いだろう。
自分の頭の上にだけ重たいバケツが乗っかっているように感じる。
暗澹たる気持ちが溢れてしまわないように(もうとっくに溢れているような気もするが)早くこの場から離れたい。感情の波に飲み込まれてしまいそうだ。

電車で本を読むのは学生の頃からの習慣になっている。
でも今日は内容がなかなか頭に入ってこない。何度も同じ行を繰り返し目で追っている事に気づく。

一呼吸おいて、顔を前に向ける。 窓の外の景色がどんどん流れて行くのが見える。

まるで、あっという間に過ぎてゆく毎日のようだ。
そのスピードにはとっくについて行けていない自覚があった。街並みはどんどん変わる、人間関係も変わる、なにかに置いていかれるような気がして焦っている。いつも。

もう一度手元の本に目線を落とす。

本棚にあった文庫本を適当に持って来たのが「オズの魔法使い」だった。

呼吸を整えるように少しずつ読み進める。すると不意に子供の頃の記憶が蘇ってくる。

当時の部屋の感じとか、好きなキャラクターがプリントされたお気に入りの服とか、今まですっかり忘れていて、まだ覚えていたことに驚いてしまうような類の、どうでもいいような記憶の欠片。

そしてその記憶に引きずられるように、ライオンが自分のしっぽで涙を拭いている絵が好きだったことや、エメラルドの都を緑色のセロファンを透かして想像したことを思い出す。
(ストーリーの内容はびっくりするぐらい覚えていなかった)

勇気をもらうためにドロシー達と一緒に旅に出た臆病なライオンは、その願いを叶えてくれるはずのオズの魔法使いから、勇気はもうすでに持っていることを告げられる。

誰かに与えてもらうのではなく、すでにあることに気づくだけ…

自分の中に溜まっている感情のせいで、大切にしたいことが見えなくなっているのかもしれない。

「水平線を見たい」直感的にそう思った。

どうしょうもない気持ちは、きっと海がなんとかしてくれる。今の自分ができることは、この足を動かすことくらいだ。
先が見えなくても、歩いていたら目的地に着くだろう。

ドロシー達がエメラルドの都を目指してちゃんと辿り着けたように。

僕は明日の朝早く、ひとまず海に向かうことを決めた。

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