毎朝手を合わせている。今日は49日目。
こんな毎日が来て欲しくなかったと、ずっと苦しみと悲しみの中にいたけれど、
チャコが残してくれたたくさんの愛を思い出しながら、
そして、周りの人々の優しさのおかげで、泣きたくても涙が出なかったのが最近は泣けるようになってきた。
体もだいぶ良くなっているのだけど、久しぶりに会う人には顔が小さくなったね、とか、さらにシュッとしたねとか言われて驚く。
(やつれたとか痩せたとは言わずに、なるべくポジティブな言い方をしてくれる心優しい人々)
チャコは晴れ男だ。今日は雨の予報だったのに、区切りの日にこんなにも気持ちの良い天気。
この天気みたいな猫、晴れが似合う猫。
火葬の日も、天気予報では雨だったのに燃えるような美しい夕焼けを見せてくれたね。
基本的にご機嫌で、食いしん坊、いつも私たちを笑顔にしてくれて、ほんとに優しくて、穏やかで、毛皮を着た愛のかたまり。
本当は分かっている。チャコは私に愛だけをくれていたことを。
不信感など、微塵もなかったこと。
じっと見つめられている視線を感じる、その視線の先にあるチャコの瞳に私が映る。
私を見てくれているその存在、全ては愛でしかなかった。私に愛を教えてくれたのはチャコだ。
でも、あまりに突然で、病気の進行が早すぎて、眠ることも食べることもままならなくなり、どんどん呼吸が苦しそうになっていく、坂道を転がり続けるような時間経過の中で、私は光を見失ってしまった。
チャコの命を見つめることを忘れて、病気にばかり心を持っていかれて、なんとかしなくてはいけないと、半分パニックになっていたと思う。
生きているかぎり、チャコは今ここに居るのに、不安の波に飲み込まれてしまっていた。
そのことがとても悔しくて、後悔と罪悪感をずっと握りしめていた。
火葬から数日過ぎ、私はしっかりめの熱を出して、急性胃腸炎のせいで15分おきにトイレに行くのが5日か6日ほど続いた。私の体の中から何が出ていってるのか不思議だった。
食べてないのに、出してもだしても終わらない。肉体が内側から削られてゆくみたいだなと、ぼんやり思ったことを覚えている。
私は精神的にも不安定になり、エゴの声が大きくなっていった。自分のことがどんどん嫌いになって、悪い考えばかりが浮かぶ。
それでも、
勝手に体は元に戻っていく、生きようとする。ボロボロになりながらも、グラグラ揺れながらも、少しずつ食欲が出て、なんてことはない普通のスープを美味しいなと感じられたとき、小さく感動した。
少し無理してでも外出した方が、街を行き交う人たちから元気を分けてもらっているような感覚があった。
絶望の夏、喪失の夏、一緒に過ごした13年間分の私も、手の届かないところへと行ってしまったように感じた。
それなのに私はまだ生きている。どうしてだか分からないけれど。
生きているのなら、生きて行こうと思う。
分からないことを、そのままにして。
できるだけ、チャコのように、笑顔で、ご機嫌でいられるように。
難しく感じても、出来なかったとしても、そうしようと思っている。