以前 Instagramにも投稿したことがあるのですが、クリムトの”ヌーダ・ヴェリタス 裸の真実”という作品は私にとって特別な絵です。
高校生の時に無性に一人で観に行きたくて美術館に行き、長い時間この絵と向かい合っていたことが、まるで夢の中の出来事のようでした。
その美術展のタイトルは「象徴派展」。
(象徴派とは、目に見えない世界を象徴的に表現しようとした流派です)
過去と現在を繋いでいる、というだけではなく、私のテーマがこの絵には詰まっているような気がしています。
真実を表す鏡(水晶の説もある)を持った裸の女性の絵。
そして絵の上の部分には、詩人であるシラーの言葉が刻まれているのですが、
「汝の行いと芸術で多くの人々を満たせないなら、少数の人の真の喜びのためにそれを成せ。万人に好まれようとするのは罪悪である。」
という意味であることを初めて知ったとき、表現や芸術に対するとても強い意志を感じはしたものの、自分とは関係が無いことのように思っていました。
けれど、やっぱりこれは私に対するメッセージだったと、今ではそう思います。
「多くの人に好かれようとして自分を偽るのではなく、真の自分を見せてゆけ」
ずっと自分のことを、「私はどこかおかしい人間なんだ」と思っていました。
ここに居てはいけないような、、、どこにいても自分の居場所がない、そんな感覚。
ここに居ていいんだと思えるようになるには、社会に必要とされなくてはいけない。
その為にも自分を良くしていかなくては、自分を変えなくては、違う自分にならなくてはいけない。
ずーっとそんな感じでした。
けれど、私に必要だったのは、そのままの自分を受け入れる”surrenderー降伏する” ことだったのです。
社会に適応できないのが私なんですね。でも、社会の外にいるからこその視点を持つことができる。
それが私の魂の目的なのかなと、そう思っています。
降伏するというのは、ただ諦めるというより”宇宙にお任せする”という方がしっくりきます。
私は”ダメなところを改善するため”にタロットをするのではなくて、”宇宙の意図を知って、委ねるため”にしている。
委ねるのが苦手な私のところに、真実を表わす鏡の役割として来てくれたのがタロットカードなのです。
HAURAさんこんばんは。
blogを拝読し、私の真の喜びってなんだろう?と考えました。
子供の頃から、親にみられているイメージ、友達に思われているイメージ、そんな思われている自分を生きてきたせいか、自分と本気で向き合うことをしてこずに役割をこなすだけの自分になっていたような気がします。
当然、社会では孤独を感じ生きづらく、自分が自分を否定しているから、外の現象も否定されることも多く、そんな自分を受け入れ、自分のわき出る感情をそのまま受け入れるのにも随分、時間を要しました。
だからこそ、私にとって「触れる」お仕事というのはお志事だと感じたのですが、やはり結果を早く求めがちで(汗)
こんな時こそ、降伏
「宇宙におまかせ」ですね。
しおりさん、コメントありがとうございます。
しおりさんが本当に自分を真摯に見つめてきたことが、文章からヒシヒシと伝わって来ます。
ひと山もふた山も超えて来たんだなと、、進むほどに気づくことがありますよね^^
そして、結果を早く求めてしまうのもとても共感するのですが、
”せっかちさんや、もっと早く!と思う人は 予知能力がある説”を、つい最近知ったところでして…
既にそうなっている(出来ている)自分を知っているから、もどかしく感じるんですって!
ちょっと面白い話だな〜と。そう思うと、笑って宇宙にお任せできそうです(単純w)