急に感情のエアポケットに入ってしまうことがある。
それはだいたい余裕がなくなって、疲れている時だと最近になって分かるようになった(気づくの遅い…)あとはホルモンバランスのしわざだろう。
何故理由もなくネガティブになるのか、、根暗な自分の性格のせいだとずっと思っていたが、それだけでもなかったらしい。人間は環境の影響を大きく受けるものだが、肉体も環境のひとつだと考えるとしっくりくる。
私は昔から、行き詰まると本屋か図書館に入り浸る。今日は図書館に逃げ込むことにした。一番近所の図書館へ行き、様々な本や雑誌をザーッと手当たり次第に斜め読みをする。正直、内容はあまり入ってこない。読みながらウトウトしたり、普段は読まないような本をペラペラとめくるのが好きだ。
突然の雷鳴にびっくりして、窓の外を見ると土砂降りの雨。さっきまで晴れていたのに…
ちょうど下校時間らしく、小学生たちの叫び声が聞こえる。
しばらく時間をおいて、雨が弱まった隙に近くのドラッグストアにビニール傘を買いに走り、ついでに切らしていた日用品も買う。少し先にある業務用スーパーにも寄りたくなる気持ちをこらえて(以前なかなか美味しいドライナツメを発見し、また買いに行こうと思っていた)洗濯物救出の為、家路を急ぐ。
雨足は再び強くなり、ビニール傘越しに雷の光を見ながら歩いていたらだんだんと楽しくなってくる。心と空模様が一致すると、バランスが取れるのかもしれない。 ”ちょうどいい”というのは、その時によってずいぶん変わるものなんだなぁと思いながら歩く。傘を閉じてずぶ濡れになってみようかと一瞬頭をよぎったけれど、借りた本もあるし、さすがにやめておく。
家に着き、ニャーニャーとご飯をねだる猫をひとまずスルーして、ベランダの洗濯物を取り込む。屋根の下の洗濯物はギリギリセーフ。1番陽の当たる場所に干してずぶ濡れになったズボンを見て、なんにせよ、あきらめが肝心だなと思う。
ズボンはそのままにして、コーヒーを淹れることにする。雨の中でずぶ濡れのズボンは私の身代わりだ。そう思ったところで、気分は晴れないが、なぜか少し満足しているような感じもある。
コーヒーを飲みながらふと考える。
雨に降られ叫んでいた小学生たちはとても楽しそうで、雨よりも晴れを感じさせるような明るい声だった。そして、そのことが私の心を少しだけ明るくしていることもまた事実なのだ。
hauraさん
文中の人間は環境の影響を大きく受ける
肉体も環境のひとつという考えに、ホントにそうだなぁと感じております。
わたしの場合
寒暖差の頭痛、雨の日にやけに眠くなること。
この春 初めてホットフラッシュのような経験をしたことも。
からだorこころと切り離して
考えると、落ち込みや不安が強くなりますが
環境、人間も自然の一部と感じると、そりゃそうだよねぇと
自分に寄り添えたり、反応がある自分に◎をあげたくなります☺️
春の芽吹きの季節を過ぎたら
少し症状も落ち着いたり
春ってそれだけ上に上にの
エネルギーが強いんだと
自然を巻き込むことで感じれたり💚
自分の捉え方次第で世界の見え方がガラリと変わるを少しずつ体感中です。
しおりさん、素敵なコメントありがとうございました☺️
頭だけで考えてしまいがちなのですが、体の方に意識を向けてみると、それだけで捉え方が変わったりします。
”人間も自然の一部”ですね。繋がっていて、流動的で、影響し合っているんだなあと、、
ありのまま感じてみる、って案外大事なことなのかもしれません。