時間の流れと、永遠

桜を見ると、様々な過去の記憶がよみがえる。
ほとんど無意識に、勝手に映像が再生されていく。

桜の花の美しさに感動しながらも、胸が苦しくなるのは、
(年齢を重ねたことも理由の一つなのだろうけど、、、)
桜が満開の季節に起きた、悲しい出来事が思い出されるからなのかも知れない。

20代の頃、当時とてもお世話になっていた方が、自死で亡くなった。
斎場に向かう途中、何度も見掛けた満開の桜の花と青い空が、自分の心の状態とあまりにチグハグで、
私をすっかり置いてけぼりにした。

時間薬という言葉もあるように、
時の流れの中で、だいぶ気持ちは変化してきた。
それでも、
桜を見た後に残るのは、”なんだか切ない、悲しい” という感覚。


時を経て分かったのは、
悲しみが消えて無くなることはないということ。
そして、
ずっと同じ悲しみを抱え続けるのもまた、無理なことなのだということ。
私は忘れたくなかったし、忘れてはいけないと思っていた。

けれどそれは、いつまでも悲しみに浸っていたいだけなのかもしれない。
自分を許さないことで、過去に閉じこもっていたいのかもしれない。

まるで、桜が満開の季節が永遠に繰り返されると錯覚しているような気もして、
何か違う、つい最近そう思えた。


時は常に流れていて、止めることも、戻すこともできないけれど、
過去に起きた出来事の意味が、書き換えられるようなことが起こることがある。

その、起きた出来事の意味を書き換える力は、過去にも未来にもなく、
自分自身が、今を生きることの中にある。

そんなことを考えるのと同時に、

理由も意味も、何もわからないままでも良い。とも思っている。

わからないことを、まるごと受け取ることがでれば、それでいい。

時間の流れと、永遠」への2件のフィードバック

  1. HAURAさま、いつも水曜日のタロットありがとうございます💜
    今を生きること。
    最近ものすごく感じていることです。

    結婚前、後も2世帯ということもあり、生と死を身近に感じていました。
    私も、娘の出産時に命が危なく2人分の輸血で命を繋げてもらいました。
    今は介護で義父を通し、自分は自分を生きてるか、感覚を活かせてるか。ともっと自分を大事に素直に生きたいと思っています。

    HAURAさんの表現に触れると、呼吸が深くなります。

    自分の根っこをしっかりはって、その上でしなやかに鷹揚でありたいなぁ。と感じています。

    1. しおりさん、コメントありがとうございます。しおりさんの文章を読んで、
      「私たちは問われている存在なのです」というフランクル(夜と霧の作者)の言葉を思い出しました。
      人にはそれぞれ、”自分にしか出せない答え”があるのだと思います。
      しおりさんは、借り物では無い、自分だけの答えを丁寧に見つけようとしている。そんなふうに感じました。
      それはとても美しいことです。私もそうありたい、心からそう思います。

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