2024・1・11 山羊座新月20:57

これまではずっとインスタグラムの方に上げていましたが、ホームページの方に載せてみることにします。

2024年最初の新月は、111と1並びとなりましたが、どのような新月の日を過ごされたのでしょうか。

私は今年初めてのお参りに神社に行きました。お守りなどをお焚き上げの箱に入れ、すっきりしたところです。

さて、もう新月は過ぎてしまったのですが山羊座新月のリーディングを載せておきます。


「手放すことで、喜びを分かち合える」

これまでひとりで抱え込んで固くなっていたものを手放す、分け合う
(思い込み、仕事、恐れ、豊かさ、などなど)
そうすることで、もっとシンプルに楽しむ事ができるようになる、そのことに気づける

守り過ぎている何かがあるのかもしれない もっとハートを開く必要がある(その結果が楽しいことばかりではなかったとしても)
それは何故か、そのほうが自由度が増すから 
(あまり深刻に考えなくていいというようなメッセージがあるように思う)

カード全体を見渡した時、動き出す、行動、旅、といった事が思い浮かぶが、それとセットで孤独、ひとり、という言葉も浮かんでくる
どこかしらひとりで決める感じがする

この先に何があるのか、なんの確証もない、絶対なんてないし、永遠に変わらないことなどない

だったらどうしたい?どうありたい? それを見つけるために動いてみる

その意思表明を自分にする 
(ちょっと違うかもしれないけれど私のイメージとしては、まるで選手宣誓のように)

『ダメで元々!できるか分からないけれど!とにかく楽しむことを誓います!』みたいな明るさもカードから感じる

そして、原動力というのは絶対に大丈夫そうだから動く、ということだけではないはずで、
どうなるかが予想できないことが原動力になったりする この新月はまさにそんな感じのようだ
枷を外して、自分にとっての新しいことを想像してみるといい

なんにも確かなことは言えないし分からない、だけどなんとなくワクワクする事がある
そんな人には後押しとなるのかもしれない


分からない事だらけで不安で仕方なかったとしても、まずは意思表明の新月 だと感じました。
私はスローガンとして「上手くやろうとしないで委ねる」にしようと思います。。

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感想などありましたらぜひ🙇

2023. 10. 20.

毎朝手を合わせている。今日は49日目。

こんな毎日が来て欲しくなかったと、ずっと苦しみと悲しみの中にいたけれど、
チャコが残してくれたたくさんの愛を思い出しながら、
そして、周りの人々の優しさのおかげで、泣きたくても涙が出なかったのが最近は泣けるようになってきた。

体もだいぶ良くなっているのだけど、久しぶりに会う人には顔が小さくなったね、とか、さらにシュッとしたねとか言われて驚く。
(やつれたとか痩せたとは言わずに、なるべくポジティブな言い方をしてくれる心優しい人々)

チャコは晴れ男だ。今日は雨の予報だったのに、区切りの日にこんなにも気持ちの良い天気。
この天気みたいな猫、晴れが似合う猫。

2023.10.20 今日の空

火葬の日も、天気予報では雨だったのに燃えるような美しい夕焼けを見せてくれたね。

基本的にご機嫌で、食いしん坊、いつも私たちを笑顔にしてくれて、ほんとに優しくて、穏やかで、毛皮を着た愛のかたまり。

本当は分かっている。チャコは私に愛だけをくれていたことを。
不信感など、微塵もなかったこと。

じっと見つめられている視線を感じる、その視線の先にあるチャコの瞳に私が映る。

私を見てくれているその存在、全ては愛でしかなかった。私に愛を教えてくれたのはチャコだ。

でも、あまりに突然で、病気の進行が早すぎて、眠ることも食べることもままならなくなり、どんどん呼吸が苦しそうになっていく、坂道を転がり続けるような時間経過の中で、私は光を見失ってしまった。

チャコの命を見つめることを忘れて、病気にばかり心を持っていかれて、なんとかしなくてはいけないと、半分パニックになっていたと思う。
生きているかぎり、チャコは今ここに居るのに、不安の波に飲み込まれてしまっていた。
そのことがとても悔しくて、後悔と罪悪感をずっと握りしめていた。

火葬から数日過ぎ、私はしっかりめの熱を出して、急性胃腸炎のせいで15分おきにトイレに行くのが5日か6日ほど続いた。私の体の中から何が出ていってるのか不思議だった。
食べてないのに、出してもだしても終わらない。肉体が内側から削られてゆくみたいだなと、ぼんやり思ったことを覚えている。

私は精神的にも不安定になり、エゴの声が大きくなっていった。自分のことがどんどん嫌いになって、悪い考えばかりが浮かぶ。
それでも、
勝手に体は元に戻っていく、生きようとする。ボロボロになりながらも、グラグラ揺れながらも、少しずつ食欲が出て、なんてことはない普通のスープを美味しいなと感じられたとき、小さく感動した。
少し無理してでも外出した方が、街を行き交う人たちから元気を分けてもらっているような感覚があった。

絶望の夏、喪失の夏、一緒に過ごした13年間分の私も、手の届かないところへと行ってしまったように感じた。

それなのに私はまだ生きている。どうしてだか分からないけれど。

生きているのなら、生きて行こうと思う。

分からないことを、そのままにして。

できるだけ、チャコのように、笑顔で、ご機嫌でいられるように。

難しく感じても、出来なかったとしても、そうしようと思っている。

チャコの写真、頭上に小さな虹を発見🌈

急に感情のエアポケットに入ってしまうことがある。

それはだいたい余裕がなくなって、疲れている時だと最近になって分かるようになった(気づくの遅い…)あとはホルモンバランスのしわざだろう。

何故理由もなくネガティブになるのか、、根暗な自分の性格のせいだとずっと思っていたが、それだけでもなかったらしい。人間は環境の影響を大きく受けるものだが、肉体も環境のひとつだと考えるとしっくりくる。

私は昔から、行き詰まると本屋か図書館に入り浸る。今日は図書館に逃げ込むことにした。一番近所の図書館へ行き、様々な本や雑誌をザーッと手当たり次第に斜め読みをする。正直、内容はあまり入ってこない。読みながらウトウトしたり、普段は読まないような本をペラペラとめくるのが好きだ。

突然の雷鳴にびっくりして、窓の外を見ると土砂降りの雨。さっきまで晴れていたのに…
ちょうど下校時間らしく、小学生たちの叫び声が聞こえる。

しばらく時間をおいて、雨が弱まった隙に近くのドラッグストアにビニール傘を買いに走り、ついでに切らしていた日用品も買う。少し先にある業務用スーパーにも寄りたくなる気持ちをこらえて(以前なかなか美味しいドライナツメを発見し、また買いに行こうと思っていた)洗濯物救出の為、家路を急ぐ。

雨足は再び強くなり、ビニール傘越しに雷の光を見ながら歩いていたらだんだんと楽しくなってくる。心と空模様が一致すると、バランスが取れるのかもしれない。 ”ちょうどいい”というのは、その時によってずいぶん変わるものなんだなぁと思いながら歩く。傘を閉じてずぶ濡れになってみようかと一瞬頭をよぎったけれど、借りた本もあるし、さすがにやめておく。

家に着き、ニャーニャーとご飯をねだる猫をひとまずスルーして、ベランダの洗濯物を取り込む。屋根の下の洗濯物はギリギリセーフ。1番陽の当たる場所に干してずぶ濡れになったズボンを見て、なんにせよ、あきらめが肝心だなと思う。

ズボンはそのままにして、コーヒーを淹れることにする。雨の中でずぶ濡れのズボンは私の身代わりだ。そう思ったところで、気分は晴れないが、なぜか少し満足しているような感じもある。

コーヒーを飲みながらふと考える。

雨に降られ叫んでいた小学生たちはとても楽しそうで、雨よりも晴れを感じさせるような明るい声だった。そして、そのことが私の心を少しだけ明るくしていることもまた事実なのだ。

こういう道、結構好き

2022.12~2023.02

またかなり間が空いてしまったこのBlogですが、今年こそちゃんとやるぞという決意と共に、
自分を疑いつつ、ぼちぼちやって行きます。

誰も待っていないだろうと思いながらも、なぜこうして文章を書いているのかといえば、セルフリーディングで度々指摘されるのと(文章書くべし!的なメッセージが来る。そのたびにBlog…と頭を擡げる。。)
2022年の年末からの流れを個人的に整理しておきたかったので、上手くまとめられる自信が全くありませんが、書いてみます。

これを読んでくださっている奇特なそこのあなた、どうでしたか?2022年の年末、そして2023年がスタートしてみて(なんとも雑な言い回し・・・)

表面上は何も変わっていなかったとしても、内側の変化は怒涛だったよという方も多いのではないでしょうか。

私の場合は、12月末に自分の中にあったネガティブな感情がドバッと出ました。いつものことじゃんね〜という感じもたしかにあるのですが、何かがいつもとは違う。もう前の自分には戻れないような、今までの考え方ではこの先に行けないのではないか、というような事をひしひしと感じていました。

視点がぐるり180度変わってしまうことが実際にあって、嘘でしょ!?と驚いてからの、あ〜、全部自分で作り上げてたのか〜というため息までがワンセット×10

みんな見てる世界は全然違うし、考えも、感じていることも、それぞれ好きなようにやっているだけで、いわば好き勝手なシナリオを書いて自分で演じているのですよね。そう、全て自分で。

でも、書いているのが自分だから、本当は書き換えることができるのもまた事実。

長年演じ続けていると簡単ではないかもしれないけれど、それでもやってみるのか、諦めるかはその人次第って話なのでしょう。

誰だって人生失敗したくないし、やっぱり幸せなお話が良い、、自分でシナリオを書いている?で、どうしたらいいんだ?ってなると思うのですが、

現段階で私が感じているのは、

今、目の前に起きていることが答え(自分の望み)そのものなんだ。そこから目を逸らしている限り、何も変わらない。

ということです。

どうしたら良いのか(どうしたら上手くいくのか)の問いが先にあるというより、こういうこと(目の前にあること)が現状なら、それが答えなんだなとまず一旦受け止める。

それだけで、何かがグッと変わるような感覚が私はありました。

その現状を答え(望んでいること)と受け入れたところから、どうしたいのか、本当にそれは本心なのか、をじっくり見ていると、

あ〜と静かに納得したり、あ!と静かに興奮したり、とにかく一貫してとても地味なんだけれど、私はこうして気付いたり深掘りしたり、なるほど!と思うことが好きなんだなぁと改めて実感しながら日々を過ごしています。←イマココ!

前からわかっていたことのようで、そこからもう一段階深くなったような…(気のせいだったら嫌だなぁ)

そして、その気づきのようなものは、今の流れの中にあるからこそ起きているのだろうなと。
まるで冬が終わり自然と春へと季節が移り変わっていくように。なんとなく変化を感じている人、結構多くいらっしゃるんじゃないかな?※今感じている事やブログを読んで思ったことをコメントしてもらえるととても嬉しいです(ブログのタイトルをクリックするとコメントできます)

で、その ”シナリオを知ること”、”書き換えられるところを変える”、というのを、私自身もやっていきたいし、そのヒントとなるようなセッションをしていけたら!と思っているところです。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

tawawa!!

Birth tarot session

お客様からセッションの感想をメールでいただきました!

こうして文章で伝えていただけることが、本当にありがたいことだなと感じるとともに、

私が行っているタロットセッションが、一体どんなものなのかが伝わるのではないかなと思いましたので、お客様の許可を得て、メールの文章をそのまま掲載させていただくことにしました。

興味はあるけれど、なんとなく怖い、、、と迷っている方に、ぜひ読んでいただけますように。

また、私のセッションを以前受けていただいたことがあるという方へ、その後の話を聞かせていただくのを楽しみにしておりますので、いつでも気軽にご連絡いただければと思います。

最後に、文章の掲載をご了承くださいましたS様、本当にどうもありがとうございました☺︎

haura様
昨日は、セッションありがとうございました。

初めてのタロットのセッションで、どうなるのか全く想像できなくて緊張もしていたのですが、おだやかな空間の中で見ていただいて本当に良かった!と、安心と確信と、いろいろな優しい感情を頂きました!
本当にありがとうございました。

私の元々の性質のこと、それから魂の目的、そのことが、わかりそうでわからない。。
水面から文字が浮かんでくるようなこないようながもうずっと続いていて、、

でも、今回それがはっきりと輪郭として浮き出てきて、それをhauraさんの言葉をとおして聞くことができて、ホッとした気持ちでおります。

それと帰り道、あとからあとから思い出すことも出てきて(笑)
引っかかっていた13才の頃のこととか。。
不遇時代がハッとよみがえって、納得のDEATHカードでした!
案外、辛かった過去って忘れているものですね!

最後に頂いたカードのfreedom

そういえば、私は小さい頃から漠然と、ただただ自由になりたかったことを思い出しました。

そしてこれからのことが、本当に楽しみになりました。
また、何かのタイミングでお世話になるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします。
大切な時間を本当にありがとうございました。